『ZIP-FM PINK RIBBON DAY supported by 一宮西病院』がYouTubeで視聴いただけます

先月10月5日に放送された『ZIP-FMピンクリボンデー supported by 一宮西病院』。一宮西病院・乳腺内分泌外科、乳腺専門医の鈴木瞳医師が出演した3つのプログラムがこの度、ZIP-FMYouTubeチャンネルでいつでも視聴できるようになりました!以下、各プログラム動画へのリンクです。ぜひご視聴ください!

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乳がん検診 &セルフチェック』(ナビゲーター/永田レイナ)▶︎ 

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乳がんになりやすい人&予防方法』(ナビゲーター/高木マーガレット)▶︎ 

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『若年性乳がん&初めての乳がん検診』(ナビゲーター/野田つばさ)▶︎ 

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また今週土曜日(11/6)14時から、鈴木瞳医師によるYouTubeライブも開催します!

『乳腺専門医による、乳がんの『予後の生活について』のお話』▶

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ピンクリボン月間は終わりましたが、常日頃からご自身の体について見つめなおすきっかけとなればうれしいです。ぜひご視聴ください。

CBCラジオ「健康のつボ~ひざ関節痛について~」 第3回(令和3年10月20日放送内容)

CBCラジオ「健康のつボ~ひざ関節痛について~」 第3回(令和3年10月20日放送内容)
出演/つボイノリオさん(タレント)、小高直子さん(アナウンサー)、巽一郎医師(一宮西病院整形外科部長 兼 人工関節センター長)

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(小高)今日からこのコーナーは「健康のつボ~ひざ関節痛について~」。過去の放送の中でも反響の大きかった「ひざ関節痛」について再放送でお送りします。ご出演は、一宮西病院 整形外科部長 兼 人工関節センター センター長の巽一郎(たつみいちろう)先生です!去年の9月から12月にかけて放送した「ひざ関節痛について」の中からお送りしています。

(つボイ)ひざの痛みに悩んでいる人は多いと思いますよね。今回初めて聞く人はもちろん、以前にコーナーを聞いた人も復習のつもりで一緒にまた勉強いたしましょう。

(小高)はい。さて、膝が痛くて巽先生のところに来る患者さんはもちろん手術をする覚悟で来るわけですが、先生は「手術しなくて済むならその方が良いだろう」と、手術する前にまずは3ヶ月ほど「保存療法で頑張ろう!」と患者さんにおっしゃるそうなんですね。

(つボイ)手術せずに痛みが取れるのであればそれに越したことはないでしょうけれども、この『保存療法』とは一体どういうことをするのだろう?ということですよね。

(小高)“痛みの原因を取り除く”ということなんですが、そのための方法が大きく3つあるそうです。では巽先生のお話、お聞きください。

 

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(巽)皆さんびっくりされるんですけど、平地を歩いてる時、ひざには体重の5倍の力がかかるんです。今、体重何キロですか?

(つボイ)ええ!?

(小高)ん~っと…(笑)

(巽)僕は60キロなんですけど、5倍したら何キロになりますか?

(小高)300キロ!

(巽)はい、300キロのものなんて持てないですよね?でも一歩一歩、平地を歩くだけでひざには300キロもかかるんです。階段を降りる時は8倍も。

(つボイ)え、降りるときに?

(小高)そんな重みを支えてるんですか?

(巽)そうなんです。上がるときはそうでもないんですが…これはてこの原理です。100キロの石は重くて持てないんですが、棒と支点を置くと、10:1のところに支点を置くと1/10の力で石を持てる。100キロは無理でも10キロは持てるでしょ。

(小高)釘抜きみたいな。

(巽)そうです。皆さん歩くときは片足ずつで歩くでしょ?両足で歩くのはうさぎとかカンガルーとかね。

(つボイ)キョンシーもね。そんなことは置いといて、と。

(巽)片足で歩くと、てこの力がひざにかかって股関節より痛みやすいと。

(小高)は~。なるほど。

(巽)なので、体重が急に増えると大体悪くなるんですよ。

(つボイ)僕、体重は本当に実感しています。以前、僕もひざが痛くなって「このままだともっと歩けなくなる…」というところまできたときに、屋久島の縄文杉を今のうちに見に行こうと決心して屋久島まで行ったんです。結局、台風で縄文杉は見れなかったんですけど…。で、帰ってきてしばらくしたら心筋梗塞で倒れてしまって、入院してる間に10キロくらい痩せたんです。そのあと、ひざが全然痛くなくなったんですよ!

(小高)ほう。10キロって身体にとっては結構変わるもんなんですか?

(巽)10キロはひざにとっては50キロ違うので、50キロは楽になってますね。

(小高)さっきのてこの原理につながるわけですね。

(つボイ)それは違うわけだわ。

 

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(小高)ね!体重を10キロ減らしたら、ひざへの負担は50キロ分減る。だからひざは楽になると。

(つボイ)50キロといったら、ちょっとした大人1人分を背負って歩いているようなものですから。

(小高)それをヒョイと下ろせたようなもんですからね。

(つボイ)そりゃひざひざへの負担は軽くなるはずですよ!

(小高)はい。ひざの手術の前にやることその①は「体重を減らす」というでした。来週は手術の前にやるべきことその②について伺います。

(小高)さて、「健康のつボ」からプレゼントのお知らせです。今月5名の方に、ひざ関節痛についてお話をうかがっている巽一郎先生の著書『100年足腰』をプレゼントします!「100年長持ちする足腰の使い方」「からだの使い方」「食事のとり方」「生きる上での考え方」など、巽先生の経験と知識、考え方が詰まった一冊です。プレゼントご希望の方は、住所・氏名・電話番号、そして『100年足腰』希望とお書きの上、番組のメールフォーム、FAX、はがきでご応募ください。締め切りは、10月29日・金曜日の消印有効。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。ふるってご応募ください。

(小高)『健康のつボ~ひざ関節痛について~』でした。

 

一宮西病院の看護師が市内の中学生に向けて「職業」についての講義をしました

今月21日(木)、一宮市尾西第一中学校で開かれた『職業人から学ぶ会』において、当院の看護師・水谷が講師を務めさせていただきました。

これは市内の中学校がキャリア教育の一環として実施している学習活動です。生徒たちが実際に働く人たちとのふれあいを通じて、働くことへの興味や関心を高め、望ましい「職業観」「勤労観」を身につけてもらう事を目的としています。
未来を担う子供たちに、職業の選択肢として「医療」への興味を持ってもらうため、当院としても毎年この活動に協力させていただいております。

【 開催概要 】

日時:令和3年10月21日(木)
場所:一宮市尾西第一中学校
講師:水谷 友紀(一宮西病院・看護部・F4病棟副師長)

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↑ 中学1年生26名を対象に「職業」に関する講義を行う水谷副師長。看護師という仕事の喜び・やりがい・厳しさ、看護師になる心構えなどを丁寧に語りました。

f:id:kyouryoukai:20211026133006j:plain↑ 自分の脈拍を測定する生徒さん。上手に測れたかな?

 

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↑ ハンマーでの膝蓋腱反射を体験する生徒さん。このあと生徒さん同士でも反射を体験してもらいましたが、叩く場所や力具合になかなか苦戦していた様子。

他にも、感染対策の防護服を着たり、ペンライトを使った瞳孔反射、パルスオキシメーターでの酸素飽和度の測定なども行いました。たくさんの体験を通し、水谷副師長は看護師という仕事を伝えました。

 

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近い将来、彼女たちが看護師として活躍してくれたら本当に嬉しいことです。
当院はこれからも様々な形で、地域との密接な連携を大切にしてまいります。

 

CBCラジオ「健康のつボ~ひざ関節痛について~」 第2回(令和3年10月13日放送内容)

CBCラジオ「健康のつボ~ひざ関節痛について~」 第2回(令和3年10月13日放送内容)
出演/つボイノリオさん(タレント)、小高直子さん(アナウンサー)、巽一郎医師(一宮西病院・整形外科部長 兼 人工関節センター センター長)

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(小高)今日からこのコーナーは「健康のつボ~ひざ関節痛について~」。過去の放送の中でも反響の大きかった「ひざ関節痛」について、再放送でお送りします。ご出演は、一宮西病院 整形外科部長 兼 人工関節センター センター長の巽一郎(たつみいちろう)先生です!「ひざ関節痛について」は、昨年の9月から12月にかけて放送しました。

(つボイ)「ひざ関節痛」はいろいろな原因で起こって来る。その原因を取り除くための治療が必要なのに、痛み止めだけ処方しても、根本的な治療にはなり得ないという巽先生のお話でしたね!

(小高)小さい頃から機械いじり大好き!手術も大好き!同じ手術の中でも難しいとされるひざ関節の手術が何より大好きという巽先生の元へ患者さんは、手術する覚悟でやってくるようですが・・・。ひざ関節痛を取り除くには、手術で人工関節を入れる以外に方法はないのでしょうか?巽先生です。

 

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(巽)僕のところへ来る患者さんは、クリニックでレントゲンを撮って「全然軟骨がないね。これは手術しかないよ」と言われて来るんです。100人来たら100人が手術しかないと思って来るんですよ。

(小高)ほう。

(巽)だけど「あなたの原因はここだから、ちょっとこれを直して、これとこれでやってみ」って言って、必ず3ヶ月間ちょっと待ってもらう…というかいろいろやっていただくんです。筋肉がしっかりするのに、筋肉がない人はとりあえず3か月ぐらいかかります。その方が手術した後もよく歩けるんです。手術したからといって筋肉が硬くなるわけではないですから、やっぱりそれなりのことやってもらうんです。
そうすると、3ヶ月したらみんな「最初に先生に来たときより全然楽。これやったら歩けるかもしれへん。」ってびっくりするんですよ。

(つボイ)ふむ。

(巽)それで保存療法をやりだしたんです。

(小高)最初、患者さん手術をしてほしくて来て、手術をした後にちゃんと歩けるように事前にやっておくべき事ってことで筋肉をつけようって言って頑張るんだけど、やってるうちになんか手術をしなくてもいいんじゃないかと。

(つボイ)手術しなくてもいい…これ嬉しい~。私はね、自慢じゃないですけど手術がとても怖いんです。

(小高)ものすごい堂々と言ってますけど。(笑)

(つボイ)いやでも手術せんでもいいというのはね、嬉しいですよ。私としてはとても嬉しい気持ちが分かります。「え~!!」って感じですよ。

(小高)先生はわりと小さい頃から機械いじりが大好きで、そういうメカニズムやどういう風に直すんだろうと考えるのが大好きで…とおっしゃってたけど、このやり方だとどんどん手術できない方になっていってしまうのでは…

(巽)そんなことはないですよ。それでも手術してほしいという方はいらっしゃいますから。

(つボイ)あ~。そうですか。

(小高)手術で人工関節に変えなくてはいけない人はどんな方なんですか?

(巽)手術しかない人っていうのはいないんですよ。とことんやったら手術しなくても済む人ってたくさんいるんですよ。だけど、その人の社会的な要求ですよ。あと3ヶ月後に孫の結婚式があるから治したい。その場合は手術が一番早いですね。だから時間的な問題ですね。
僕の患者さんで、最高3ヶ月で15キロも痩せた人がいるんです。そういったことをコツコツ行うのが好きかどうか。これがやったら治るって聞いて「やろう!」という気になるかどうか。僕は患者さんに選んでもらうようにしているんですよ。

 

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(小高)患者さんにはそれぞれの事情があるし、痛みの程度も違いますね。保存療法を頑張れる人、3か月も根気が続かない人など、患者さんにもいろいろな方がいらっしゃるとのことです。

(つボイ)患者さん100人いれば、100通りのアプローチがあるということですね。

(小高)それぞれの患者さんに寄り添った治療をしていただけそうです。来週からは、手術前の取り組み、保存療法に必要なことをうかがった回をお送りしていきます。

(小高)さて、「健康のつボ」からプレゼントのお知らせです。今月、5名の方にひざ関節痛についてお話をうかがっている巽一郎先生の著書『100年足腰』をプレゼントします!「100年長持ちする足腰の使い方」「からだの使い方」「食事のとり方」「生きる上での考え方」など、巽先生の知識と考え方が詰まった一冊です。プレゼントご希望の方は、住所・氏名・電話番号、そして『100年足腰』希望とお書きの上、番組のメールフォーム、FAX、はがきでご応募ください。締め切りは、10月29日・金曜日の消印有効。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。ふるってご応募ください。

(小高)『健康のつボ~ひざ関節痛について~』でした。

CBCラジオ「健康のつボ~ひざ関節痛について~」 第1回(令和3年10月6日放送内容)

CBCラジオ「健康のつボ~ひざ関節痛について~」 第1回(令和3年10月6日放送内容)
出演/つボイノリオさん(タレント)、小高直子さん(アナウンサー)、巽一郎医師(一宮西病院・整形外科部長 兼 人工関節センター センター長)

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(小高)今日からこのコーナーは「健康のつボ~ひざ関節痛について~」。過去の放送の中でも反響の大きかった「ひざ関節痛」について、再放送でお送りします。ご出演は、一宮西病院 整形外科部長 兼 人工関節センター センター長の巽一郎(たつみいちろう)先生です!「ひざ関節痛について」は、昨年の9月から12月にかけて放送しました。

(つボイ)巽先生!ユニークで面白い先生でしたね!

(小高)そうそう!面白い先生(笑)でも面白いだけじゃないですよ。ひざ関節痛のスペシャリスト、スーパードクターです。簡単にプロフィールをおさらいしておきましょう。巽先生は、大阪のご出身。長らく神奈川県の湘南鎌倉総合病院 人工膝関節センター長を務められていた「ひざ関節」の専門家です。

(つボイ)サーファーでもいらっしゃいましたね(笑)大阪出身の湘南ボーイ!

(小高)なんか普通お医者さんの前に出ると緊張してしまいますけど・・・巽先生はそんな緊張しなくて済んじゃう、本当に気さくな先生でした。そんな巽先生、昨年の5月に、整形外科部長兼人工関節センター センター長として一宮西病院に赴任されました。先生は、整形外科としていろいろな関節を診て来たそうですが、15年ほど前から、どこよりも難しい「ひざ関節の手術」を専門にされて来たということです。

(つボイ)ひざの人工関節は、1ミリ、1度ずれても患者さんへの影響がすごくある、とおっしゃってましたよね。

(小高)それだけ難しいだけにやりがいがあるということで、ひざ関節手術の専門家になられたそうです。今日はまず「ひざがなぜ痛くなるのか」そのメカニズムを教えていただきます。

 

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(小高)「ひざさえよければもう本当に元気なのに」「ひざが悪いから歩くのが辛い」とか「歩けないからどこにも行けないし、楽しいこともなくて…」っていう方が多いですよね。

(巽)そうですよね。

(小高)それができないと、本当に人生の大半はやっぱ…不便。

(つボイ)そうやね。生活力と言うか、生命力にも影響してきますね。

(巽)そうですね。大体ローン払い終わって、子供が成人して50歳から65歳ぐらいで「さぁ自分の時間や!」という時なんですよ。好きなことやれる。そんな時に痛いから山に登られへん、海にも入れない…となるわけですよね。そうなるとつらいというか、面白くないですよね…。

(小高)痛いのを取り除くにはどうすればいいんですか?

(巽)僕の患者さんは、診察で「痛いからなんとかしてくれ」と言うんですよ。そこで、99%の整形外科医は痛み止めを出すんです。でも、痛いのはなんでか?という原因を治さないといけないんです。

(つボイ)痛み止めって対処療法ですもんね。痛いのを止めるというか。でも、痛み止め以外でどうやって治すんですか?

(巽)そうですね。原因をまず見つけて、原因を治すんです。痛みは、自分の身体を守っている大事なものなんです。もちろん、僕も痛いのは嫌なんですが。痛みは、骨と骨が当たって割れたよというのを伝えてくれるんです。

(小高)え、骨と骨が当たったら割れるんですか?骨折とは違う?

(巽)固いものと固いものが当たったら割れるでしょう?茶碗と茶碗が当たったら割れるように、それがおじいちゃんおばあちゃんのひざの中で起こっているの。でも茶碗もふきんを置いてからなら割れないでしょ?

(つボイ)そして、そのふきんが軟骨だということですね?

(巽)あ!素晴らしい。

(小高)あ~!なるほど。

(巽)軟骨があったときは割れないんです。ぬるぬるしているので。でも無くなったら割れる。それで割れてしまったよ!というのが痛みなんです。

 

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(小高)年を取るとともに、クッションであるひざの軟骨がすり減って、大腿骨とひざの骨が直接あたって痛みが出てくる。これがいわゆる「変形性膝関節症」の始まりなんですね。巽先生は、ひざの痛みに対して、痛み止めの薬を原則出さないとおっしゃっていました。

(つボイ)痛み止めの薬は対処療法ですからね。先生は痛みの原因を追究して、そこから治していくと・・・。

(小高)最初のプロフィール紹介のところでもご紹介しましたが、先生は手術がとっても得意で、手術大好きなんだそうですけども。実は「手術の前にやるべきことがある!!!」と仰ってましたからね、前回の時も。次回はそのあたりをうかがっていきます。

(小高)さて、「健康のつボ」からプレゼントのお知らせです。今月、5名の方にひざ関節痛についてお話をうかがっている巽一郎先生の著書『100年足腰』をプレゼントします!「100年長持ちする足腰の使い方」「からだの使い方」「食事のとり方」「生きる上での考え方」など、巽先生の知識と考え方が詰まった一冊です。プレゼントご希望の方は、住所・氏名・電話番号、そして『100年足腰』希望とお書きの上、番組のメールフォーム、FAX、はがきでご応募ください。締め切りは、10月29日・金曜日の消印有効。当選者の発表は、発送をもって代えさせていただきます。ふるってご応募ください。

(小高)一宮西病院 整形外科部長 兼 人工関節センター・センター長の巽一郎(たつみいちろう)先生でした。『健康のつボ~ひざ関節痛について~』でした。

中日新聞(尾張版)に、人工関節センター長の巽一郎医師が登場しました

10月8日(金)付の中日新聞尾張版)に、一宮西病院 人工関節センター長、巽一郎医師による医療講演の採録編集記事が掲載されました。(企画・制作/中日新聞広告局)

【記事見出し】
中日健康フェアTOPICS
100歳超えても元気に、自分の足で歩き続けよう!

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◎一宮西病院 整形外科ページはこちら
◎一宮西病院 人工関節センターページはこちら

オリンピック医療支援スタッフが見た 五輪の医療体制

当院の脳神経外科部長・安田宗義医師が東京オリンピックパラリンピックのメディカルスタッフ(選手への医療支援を行うスタッフ)として参加した件の続報です。

安田医師から医療体制報告をいただいたので公開いたします。
無観客の中で行われた今大会。スタッフとして参加した安田医師が見た、選手の奮闘、五輪の医療体制など当時の様子が細かに綴られています。

 

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カモメが見た夢
~オリンピック・パラリンピックトライアスロンの医療支援報告~

 この夏の東京2020+1オリンピック・パラリンピックに、トライアスロンの競技会場ドクターとして参加しました。かねてから私はトライアスロンを趣味でやってきたのですが、2019年夏に競技仲間から聞きつけて日本トライアスロン連合の募集に応募したところ、選ばれました。

 そもそもトライアスロンってなじみのない方も多いと思います。これは3種類(トライ)の競技(アスロン)を一度にまとめて行うスポーツです。オリンピックの場合、スタートとともにスイム1.5キロを泳いだらすぐに自転車(ロードバイク)で40キロ走り、最後にラン10キロを駆け抜けてゴールします。その過酷さゆえに別名鉄人レースとも呼ばれています。普段から一般向けのトライアスロン大会に出てはいるものの順位は下から数えた方がはやい、そんな五十路の私です。オリンピックに選手で出場するのはありえないけど、医師として世界一流のアスリート達のレースに加わるチャンスに恵まれ嬉しかったです。

 2020年早春、医療スタッフ向けの事前学習会が始まりました。トライアスロンは屋外で全く違う3種目をこなすので、想定される医療トラブルは多岐に渡ります。例えばスイムでは溺水、バイクでは落車による多発外傷、ランでは大会が夏場なだけに熱中症や脱水に注意が必要です。その他、屋外競技として雷撃症、オリンピックなのでドーピングやテロ対策もテーマに取り上げられました。また円滑な医療活動を実地で行うためには、オリンピックの会場・競技運営手法やそこで使用される共通略語(VMO、AMSV、MOM、AMS、FOPなどなど!)を理解しないと、当日の会場では身動きすら取れずナントモなりません。慣れて覚えるまで結構苦労しました。

 本格的な準備が始まり、いよいよという矢先に新型コロナ感染症が発生してしまいました。はじめ対岸の火事とタカを括っていた海外から、国内に次々と飛び火して迫る得体のしれない感染蔓延に不安をかき立てられたものです。そこへ自宅待機、買い占め、各種自粛が続き、まるでSF映画のような人類規模の混乱と分断が起きました。学習会はいつの間にか中断し、とうとうオリンピックそのものが史上初の1年延期。誰一人想像しえなかった展開。深い喪失感を味わいました。これまで私たちがその盤石さをつゆほども疑わなかった21世紀の社会秩序、それがいともはかなく崩壊しました。オリンピック延期はその象徴だった気がします。

 2021年を迎え春が過ぎても、私たちスタッフにはオリンピック開催か中止かの決定が全く伝わってきませんでした。ただ、前年に中断したままの事前学習会だけはネット配信されるe-ラーニングに形式を変え、ほそぼそと再開しました。とりあえずがんばって講習内容を頭に詰め込みはしたものの、大会を開くのはさすがに無理なんじゃないかと半信半疑のままで、どうもモチベーションが上がりませんでした。そうして会期まで時間だけがだらだらと過ぎ、気がつけば海外選手団が少しずつ、ひっそりと日本国内に集結。そして7月中旬、開会日直前の土壇場に無観客決定が発表され、こりゃどうやらホントに開催するゾと私たちも悟りました。そこからです。堰を切ったように膨大な業務連絡が来るようになりました。各担当者はギリギリまで必要な指示をもらえず、じらされ振り回されたとみえて実に慌ただしい。彼らもさぞ大変だったと思います。そこからまたたく間に7月23日の開会式。自宅のテレビでセレモニー中継を観てようやくオリンピックへの実感が湧きました。

 

 オリンピックトライアスロンは開会式翌週に計3日間行われましたが、私が医療支援を担当したのは最終3日目の男女混合リレー。レース日は7月最週末で、私は競技前日に現地へ向かいました。開催場所はオリンピックメイン会場内のお台場海浜公園です。JR新橋駅から公園に向かうゆりかもめに乗ると車内にユニフォーム姿のボランティアがちらほら目に付くようになり、レインボーブリッジを渡る車窓からは海に浮かぶ五輪モニュメントが見えて、いやがうえにも祝祭感が高まります。会場内の医務室を下見で訪れると、このとき初めて一緒に働く医療統括者の方たちと会えました。それまではコロナの影響に不透明な開催判断のせいもあって、お互いになかなか対面を果たせずにいたのです。競技進行のキーマンとなるのは現場調整係。私の立場は割り当てられた業務をこなすだけで気楽でしたが、彼らは開会前から幾度となく降りてきたであろう不意な変更にも終始辛抱強く、笑顔を絶やさず対応されていました。それはこちらが見ていて、いったいいつ寝ているんだろうと心配になるほどの奮闘ぶり。この大会への強い責任感が満ちた姿勢に心底頭が下がりました。もし後の世でこのオリンピックを評価してもらえるのなら、それはエライ人の功績というより、こういう無名な人達の熱意と誠意の賜物でしょう。医務室で打ち合わせのあと会場そばの宿舎に入り、夕刻の空き時間で近所を散策がてらジョギングへ。すると、近所の大きな陸橋の上にオリンピック聖火がありました。実物は思いのほか小さい印象。テレビの開会式でも観た聖火台は開いたハスの花のようで、日本らしい気品が美しかったです。人の密集を避けるためその場所も公表されなかった聖火。周囲を広大な規制線と警備員に囲まれ、はるか遠くでゆらゆら燃えています。皮肉な光景でちょっと複雑でした。

 翌日、男女混合リレー本番は朝7時30分のスタート。午前3時に会場入りした私たち医療スタッフ陣は、ここでようやく一同に集い初顔合わせできました。急ごしらえ感が否めませんが、与えられた責務の重さに変わりはありません。互いに顔と名前を覚えるところからはじめ、短時間で仲を深めチームワークを発揮できるように努めました。自己紹介とスケジュール確認ののち、めいめい所定位置につきます。トライアスロンは海辺のスイムエリアから周辺道路を利用したバイク・ランコースまであって、競技ゾーンが広範囲かつ複雑です。オリンピック全競技中、最も救急車が多く配備されたのもトライアスロンだったそう。私たちの医療ボランティア活動も医務室のほかに海岸、路上に救護所を設け、更にオートバイで自転車の選手を追走するチームも編成されていました。

 会場内で診療のメインとなる医務室では、必要な医療物資が規定された通りに細かく用意されていました。そのぶん私たちが外部から医療器具を持ち込むことは禁止。これは過去の大会から蓄積されたノウハウの結晶です。今回の東京大会でも、診療を受けた選手の経過はデータベース化されて国際オリンピック委員会IOC)幹部に毎日報告され、次回以降に反映される仕組みになっていました。医療部門に限らず、オリンピックは全ての競技種目で統一された会場レイアウト、役割分担や進行手順を確立しており、それを円滑に運用するための共通用語まで独自に作り上げています。オリンピックファミリーというのは世界最大のスポーツ興行をあらゆる国で精密に実行できるよう発達した巨大システムだと実感しました。

 今回のオリンピックでは社会でのダイバーシティー(多様性)が掲げられ、その一環として男女混合種目がずいぶん増えました。私が参加した男女混合リレーもオリンピックトライアスロンとしては新種目。男女2名ずつ計4名のチームで出場し、全員がそれぞれ順番に短距離のトライアスロン(1人あたりスイム300メートル、ロードバイク6.8キロ、ラン2キロ)をこなしてリレーします。ショートなぶん、選手はペース配分おかまいなしにはじめから全力でぶっ飛ばすので見ごたえたっぷりです。私の持ち場はメインの医務室でレース会場のホームストレート真ん前。これ以上の特等席はありません。世界のスーパーアスリートたちがすぐ目前に集まってきます。スタートを控え集中力を高めてゆく鍛えぬいた若い彼ら。そのオリンポス彫刻のような体からは、国を代表する緊張感やオリンピック出場の誇らしさがひしと伝わるようでした。いよいよスイムスタート台に選手が並んでゆきます。すぐ頭上に中継用とみられる2、3のヘリコプターも寄ってきました。ヘリなんてふだんは遠くで小さなハエみたいにせわしなく通り過ぎるだけなのに、今日はどこにいくでもなく、その白い腹を見せながら海の上をふわりふらりと漂いこちらをうかがっています。その様は、翼に上昇気流をはらんでただよう港のカモメのよう。ふいに浮かんだ「ヤーチャイカ(私はカモメ)」のひとこと。ソ連女性宇宙飛行士テレシコワの言葉だったかな。

 On your mark!のアナウンスで一瞬の静寂をおいて電子音の号砲ひとたび鳴るや、選手たちは矢のように海へ吸い込まれました。軽々と伸びるようなストロークでスイムを終えたら次々とバイクにまたがり飛び出します。躍動の姿とスピードには鳥肌が立ちました。競技中は過ぎ行くアスリート達に拍手を送りましたが、やっぱり日本チームの応援には力が入ります。私の傍らではコースの柵沿いに各国コーチたちが集まって身を乗り出し、様々な言語で檄が飛び交います。最後のランを終えるまで迫力満点でした。すばらしかったのは、優勝をつかんだチームはもちろん最後のチームまでみんな胸を張ってフィニッシュラインを切ったこと。健闘を称え合う情景はすがすがしいものでした。レースを終えるとどの選手も充実と安堵の表情になり、会場はリラックスした雰囲気に包まれます。日本や海外の代表選手はみんな気さくで明るい人たちばかり。オリンピックはメダルに手が届かなかった人の生きざまにも美しさを宿すと思いました。

 競技中の医務室では、重度熱中症の応急処置のために氷水のバスタブ、アイスバスがふたつ用意されました。もしぐったりした患者が運ばれてきたら網マットを使って中に漬け、直腸温と血清ナトリウム/血糖値をモニターしながら入浴させる手順。みんなで練習をくりかえして備えました。さいわいにも私が参加した男女リレーで大きな傷病事案はなし。当日の天候はうす曇りだったため、心配されたほど気温は上がらなかったのです。選手数名が熱疲労のため医務室で簡単なアイシングを受けたくらいで、みなさんすぐ元気になってアイスバスの出番もありませんでした。真夏の東京は海で泳ぐのにうってつけかもしれませんが、屋外をマラソンで走るというのはどう考えても無謀。アスリートファーストなんて言えたものではありません。せめて9月にレースを開催して初秋日本の素晴らしい気候を世界のアスリートに満喫してもらいたかったよ!というのが本音です。

 

 1か月後の8月に開催されたパラリンピックでは2日間行われたすべてのレースに参加しました。

パラリンピックでは選手が持つハンディキャップによって全部で4つの競技クラスが設定され、おのおのに男子・女子の区別があるため、合計8レースが行われました。

オリンピックのように、パラリンピックでもトライアスロンのスイムは全クラスでお台場の海を泳ぐのです。視覚障がいの選手も例外ではなく、伴走者とロープで体を結んで泳ぎます。野外水泳は通常のプールスイムとは大きく異なります。例えば、自分が泳ぐ進路にはコースロープなどなく、ところどころ置かれたブイだけが目印です。潮流もあるなか、他のスイマーと一緒になって、時には互いに接触しながら泳がなければなりません。障がいのない方でも練習を積んでいないと無事に泳ぎ着くのは困難で危険なのです。

 それでも、パラリンピックではどの選手も迷うことなく水に飛び込んでいきました。彼らの姿からは勇気とその裏ににじむ努力の量が感じられ、そばで見る佇まいは神々しくすらありました。海上のスイムコースではサーフボードやジェットスキーに乗ったライフセーバーが選手に伴走し、私たち医療チームは少し離れた桟橋で東京消防庁のダイバー達と待機していました。幸いにもスイムではさしたるトラブルもなく、全選手が無事スイムアップ(上陸)しました。

 パラリンピックではバイクパートの乗り物が特徴的です。車いすクラスの選手は両下肢が動かないため、仰向けに寝そべるようにして手で漕ぐ特殊な自転車(ハンドサイクルリカンベント)で出走します。見た目はまるでF1カーのようで、普通の自転車よりも速度が出やすいうえ体が地面すれすれで走りますから体感スピードは相当なもの。しかも前方視界が悪く急な進路変更もできないので乗りこなすのは大変なはずです。裏を返せば、この乗り物はコース上のスタッフにも大変危険で、うっかりするとはねられてしまいます。今回のパラリンピックではそんなハンドサイクルがこれまで日本で例がないほど一度に多数出走したのです。コース脇で初めて見た私はちょっと腰が引けてしまいました。

 このバイクパートではハンドサイクルに乗っていた選手一名が衝突負傷しました。車いすクラスの選手は下半身の自由が利かないのでとっさの受け身が取れずに重傷を負いやすく、しかも痛覚麻痺部分だとケガをしても本人すら気づかないことがあります。さらに、多くの方が脊髄障がいを持つため自律神経バランスが崩れやすく、外傷ストレスを契機に脈や血圧が乱高下しやすいのです。このように彼らには一般選手や他クラスのパラ選手とは異なる体調特性があり、外傷ケアを行う際に一層の配慮が必要でした。脊髄外科指導医である私はその専門柄、一般の医師よりもずっとたくさんの脊髄障がい患者さんを診療してきた経験があり、診療にはそれなりの自信がありました。しかし、じつは脊髄障がいアスリートに会ったことはなく、ましてやそういった方の重症外傷を診療したこともありませんでした。いざパラ選手の診療に関わってみれば、私にも知らないことだらけ。多くの貴重な教訓を得ました。

 最後はラン。肢体障がいクラスでは装具を着け、視覚障がいクラスでは伴走者と一緒に、そして車いすクラスでは三輪のレース用車いすに乗って走ります。男子PTS4(肢体障がい)クラスで私がフィニッシュエリアの担当をしていた時です。ラン前のバイクパートのころからひとり、ずば抜けて速い選手がいました。市街の周回コースをまわってくるたびに他の選手を抜き去り、みるみる順位を上げてくるのです。会場がにわかにざわつきます。しかもこのひとはいつも左手だけで疾走するバイクのハンドルを操っています。肩から先の右上肢を全欠失しているからです。それでいて無駄のないフォームには一切のブレがなく、急カーブやアップダウンの激しい難コースを闊達に走り抜けます。それはぱっと見た目、右腕もふつうにあって使っているように錯覚するほど。もしロードバイクに一度でも乗ったことがあれば、これがどれほど困難なことか分かるはず。よほどのバランス感覚や体幹の強さと柔軟さがなければできない離れ業、私だったら漕ぎだすだけで精一杯です。黒と赤2色のぴったりしたトライスーツは引き締まって日焼けした細身の体に良く似合い、黒ヒョウの精悍さ。胸には日の丸とJPNの文字。日本代表の宇田秀生(うだひでき)選手です。彼はランに入っても衰えるどころかますますギアが上がって驚異の追い上げ。私と一緒にいた外国のスタッフもあいつスゲーな!と感嘆しきり。会場の目をくぎ付けにしながら先行するライバルたちをごぼう抜きして、ついに銀メダルを決めたのです。たいていの選手がフィニッシュと同時にへたり込んで虚脱してしまうなか、ただひとりみなぎる雄叫びを上げ男泣きする宇田選手。その姿からはこれまでの苦悩や感謝や喜びがあふれ出て、居合わせた私にも忘れられない情景でした。本来なら彼には満場の喝采が贈られたはず。無観客だったというのはまこと残念。でも、空にはカモメがいます。すばらしき最高の一瞬はヘリのカメラから日本中で応援する目にも届いたはず。お台場の海を渡る風にのって、全国から声なき歓呼が聞こえた気がします。すべてのアスリートに惜しみない敬意と賛辞を。

パラトライアスロンはオリンピックとも違うだけでなくクラスごとのレーススタイルも実に多彩。それぞれが完全に別のスポーツ種目のようで、見ていて興味深い。全予定を無事に終え、私も医師としての達成感に浸りほっとしました。

 

 東京2020+1大会はコロナ禍で第5波が押し寄せている最中に行われました。感染制御や医療逼迫、日常強いられてきた自粛を思えば、賛否両論あるイベントです。ただ、開催する以上、その日のため打ち込んできた選手達には人生最高のパフォーマンスを悔いなく発揮してもらいたい。私の支援が少しでも役立ったとしたら幸いなことです。

 トライアスロンの医療支援はまるで災害医療の疑似体験であったともいえます。野外傷病者ケア、即席医療班での共同作業、消防や警察との協力、通信・輸送の確保などのノウハウに触れ、私にとって大きな財産となりました。共に活動したほかの医療スタッフ有志とは現場で会うまで面識はなく、一緒に過ごしたのもたった数日。でも、不安の世相と大会が織りなす困難の数々をみんなで助け合って乗り切りました。全員がひとしく成功を願っているのが言わずとも分かり合えたからです。こうしてようやくベストチーム完成と自信を持てたときにはもう解散の日。このご時世、おつかれパーティーも打ち解けねぎらい合う機会もなく、別れ際はあっさりしたものでした。仮設会場もすぐに解体され、二度と訪れることはありません。密を避けたひとりぼっちの帰路、ゆりかもめに揺られながら遠のくお台場を窓から眺めるのはじつにうら寂しい気分でしたが、それでもなぜか私の心を満たしてくれるものがありました。それはあの時あの場にいたすべての人との連帯感だったと思います。人々の情熱と結束が生んだつかの間の夢を胸に、また代わり映えのない毎日に戻っていきます。

 

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